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偶然の出会いに支えられて

 このたび私は、3月31日をもってウィズ広島を離れることにしました。長い間のご指導ご支援、誠にありがとうございました。感謝申し上げます。
 ウィズ理事長を辞したいという思いは、身体がそういうのか、こころがそういうのか、このところ年々歳々強くなってきました。昨年春までの約3年、来る日も来る日もウィズ広島、博光寮、宇品寮等の史料を遥か明治期まで遡って探索し、夜昼なくパソコンに向かってキーボードをたたき、『更生保護のなかのウィズ広島1888-2022』を上梓しました。あれから1年がきますが、気がついたら身体もこころも萎えていました。さいしょは、私にとって大いなる遺産というつもりはなかったのですが、過ぎ去ってみれば良いlegacyになりました。
 それまでの私は、矯正施設を満期出所した人、更生保護施設を退所した人などの将来を憂い、その人たちへの訪問支援やフォローアップ支援を全国に先駆けて実施し、そのなかから加害者家族の生きづらさをを知り、オウム真理教教祖の二女松本麗華著『止まった時計』を手にとり、加害者家族のケアが必要なことを痛感しました。しかし残念ながらいつの間にか私の気力は衰え、それを手掛けることはかないませんでした。
 そのようなとき、島薗進『死生観を問う-万葉集から金子みすゞへ』に出合い、心を癒しました。そして私のこころは緩やかに変わっていきました。それを決定づけたのは、気晴らしに読んだ漫画『あっかんべェ一休』です。そしてひとり、うんうん ! アハハハ!と快読しました。高貴の子として生まれ、寺僧となりひとり小さな庵で盲目の旅芸人、森女に看取られ88歳の生涯を閉じる一休宗純禅師を描いた坂口尚の代表作です。読み終わってしばらく呆然としていましたが、ここに至って私のこころは、後戻りできなくなりました。そして、これからは毎日歩き、午睡し、新聞を読んで世相のあれこれにこころを寄せ、今まで読もうと思っていた本を読み明け暮れる…そんな他愛のない日々を夢想するようになりました。
 想えば私と更生保護の出会いは、1953(昭和28)年、国家公務員として広島保護観察所に採用され、当時の調査連絡課に配置されたことから始まりました。その若き日、今は亡き広島県保護司連合会会長の三浦強一先生と出会い、身近に薫陶を受けました。その出会いが私の人生を切り拓く始点となり、今日の私があります。そして1993(平成5)年3月31日、定年退職して民間の側に変わり、財団法人博光寮主幹、常務理事に就任したのをきっかけにウィズ広島理事長になりました。その間、時の広島県更生保護女性連盟会長幟建末子さんとの旧交を温め、当法人理事として伴走していただきました。その頃が長い人生の折り返し点でした。その間、幾星霜が過ぎたことか…。そして更生保護施設を拠点に、利用者や退所した人々の生生流転をまのあたりにし、また支援者の方々のまなざしに触れることができました。そこは私にとってある意味、人生の楽園でした。このたび、そこを去ることは忍び難い思いですが、その間、事に際してコミットして待つことが私の一部になりました。その歓びは大きいものがあります。長い間、誠にありがとうございました。
2024.3.22       

                                更生保護法人ウィズ広島

 前理事長     山 田  勘 一

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