「り、じ長さん、早う福祉施設を作ってくださいよ」。1月、2月、カフェの席で、遥かむかし退所したOさん87歳からよびかけられて以来、私の宿題となった、高齢者の住居支援。その後、私の頭から離れることはありませんでしたが、新型コロナウィルス感染が発生するやその対応に追われ、すべてがコロナ、コロナ、コロナ。その呪縛から時間がパタッと止まってしまいました。
ウィズ広島のあらゆる処遇や支援プログラムが一時、実施できなくなり、退所した人を含めて30人前後の人たちが飲食を共にしながら話が弾む、代表格のカフェが大きな影響を受けました。退所した人からの電話や支援スタッフの安否電話にカフェはいつするの?と話題になります。
コロナ疲れは、ほかにもあります。60代、70代、80代と年齢が上がるにつれてコロナウィルス感染者の死亡率が高いというニュースが流れ、私は自宅でテレワークをしていました。これがまたつらく、決算時期のこと、人が集まる会議ができませんからすべての案件が書面での議決。休眠預金活用による退所者フォローアップ支援事業、別館女性居室棟完成による竣工式準備、職員の退職、採用と、いや~ぁテンヤワンヤでした。自宅に居ても時をかまわず電話は鳴る、Faxやメールは送られてくる、手を入れて返すなど気の休まる時がなく家が安息の場でなくなったのです。
3月、手元の手帳を開いてみますと、ヨーロッパが新型コロナウィルス感染の拡がりに慄いているなか、11日フランスのテレビ放送局記者がカメラマン、通訳3人できて日本の「高齢犯罪」を取材しました。お互いにマスクをしてテレビ撮影は初めてです。12日、司法修習生見学。このときも、南北の窓を開けてお互いにマスクをして更生保護支援の拠点となるウィズ広島の役割を理解していただきました。おお、大胆!
17日には、東京から早稲田大学法学学術院助手の方がウィズ広島の処遇や支援について取材に来られました。早くから予定していた来客はそこまで。全国、地方、県単位のいろんな会議、別館女性居室棟落成報告会等はすべて中止、中止、中止でした。それからはコロナ自粛。
そんななかを、もう14~5年前に退所したEさん65歳からふるさと土産が届きました。一度帰りたい、帰りたいといいつづけていた故郷です。その気持ちはわかるが、もう少しコロナが落ち着くまで待ったらどうだといったのですが、お金も貯めた、街を歩いてみたい、懐かしい喫茶店やママに会えるかもしれん、今の私なら顔を上げて古い人にも会えます、「長いこと思いつづけていた私の夢です、行かせてください。」「駅や新幹線の座席など人ごみはくれぐれ避けよ」。こうして送り出したふるさと帰行でした。「帰ってよかったです。…よく行っていた喫茶店でEです!と言ったら生きていたんね」と歓迎されました。○○弁を大いに話せた、いい旅でした」。と久しぶりにおしゃべりして帰っていきました。
そしてお礼の手紙がきました。その封筒に貼られていたのが、上の絵「布地の黒猫」です。それにしても猫って何のおまじないでしょうかね。
この猫クン三態は、「私の心の時間は、長いこと止まったままです」(Kさん76歳)と刑務所から手紙をくれたなかに描かれた絵です。自分が出所できるまで生きていてと、私に希望を託し、見つめているようでもあり、私の老躯を見守ってくれているようでもあり、心にしみる絵です。そう、Eさんの封筒に貼られた布地の黒猫クンにも、コロナ禍のなかを長年の思いを果たして満ち足りた、柔らかな気持ちが伝わります。
(Kan)
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